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代表プロフィール
【代表】藤田 克典(ふじた かつのり)

【出身地】1973年、茨城県北茨城市出身
私が施術家を志したきっかけは、学生時代に医療ミスによって父を亡くしたことです。
そのときに言葉では表現できないような絶望を感じました。何もできなかった自分の無力さが無念でした。しかしドクターを目指せるような器量はまったくありませんでしたので、人の命を救うとまではいかなくても、せめて困っている人の力に少しでもなれればと思ってこの道に進みました。
母は私がお腹の中ににいるとき、車を運転中に追突事故に遭ったり、2階から1階まで階段を転げ落ちたりと、なかなか波乱万丈な妊婦さんだったようです。さらに母は虚弱体質だったため、かなりの難産だったようです。当時をよく知る人たちからは、私が無事に産声をあげたのはある意味奇跡だったとよく言われます。
そんなこんなでかろうじてこの世に生を受けた私ではありましたが、幼少の頃は特に大きな病気をすることもなく元気に育ちました。いつもボールを追いかけている犬のような子供だったようです。野球が大好きで、父とよくキャッチボールをしていた記憶があります。

【野球少年】

小学校時代のソフトボールから始まり、中学・高校と野球部でした。
小学6年生のときに、後に自分の母校となる高校が甲子園に出場しました。父に甲子園へ応援に連れて行ってもらい、とても感動しました。

中学時代はエースで4番でした。ただチームはそれほど強くはなく、市の大会では優勝できても、県北大会では2回戦止まりでした。

高校は県内でもかなりの強豪だったので、私の実力ではレギュラーには手が届かずベンチ要員でした。自分たちの代では秋・春と県大会で優勝し、2回も関東大会に出場できたのはいい思い出です。

関東大会はどちらもベスト8に進出しましたが、秋の大会ではベスト4に残れば春の甲子園に出場できたので、その直前で負けてしまったことはとても残念でした。夏の県大会は不運なイレギュラーバウンドに泣かされて、優勝したチームに0対1で負けてしまいベスト8止まりでした。近いようで遠い甲子園でした。
【ニックネーム】ビリ珍
とある大きなボーリング大会で最下位となってしまい、友人・知人からは「ビリ珍」と呼ばれるようになりました。「ビリ」はともかく「珍」は意味不明ですが、語呂がよかったとかそんな理由だったような気がします。
それ以来、私のまわりでは私を本名で呼ぶ人はおらず、年下の友人たちからも「ビリ珍さん」「ビリさん」と呼ばれています。ちょっと間抜けなニックネームなので、近頃はせめて「ビリー・チェン」くらいに改名しようと働きかけていますが、なかなか承認してもらえません。
【趣味】たいそうな趣味はありませんが・・・
古本屋巡り・・・時間があるときは神保町の古本屋街をぶらぶらします。
読書・・・そのときどきの気分によってなんでも読みます。最近は体の仕組みに関する本を読むことが多いですね。ただ、そうなると趣味とはいえないかな?
音楽を聴く・・・邦楽から洋楽までいろいろ聴きます。邦楽だとミスチルとかサザンをよく聴きますね。ただ最近は歌詞がない音楽が好きで、映画のサントラ盤などを集めて独自に編集しています。それをウォーキングしながら聴くことが多いです。
競馬・・・5年くらい前まではかなりのマニアでしたが、忙しさもあり今ではまったくやらなくなってしまいました。血統についてはかなりのオタクでしたが、脳内データを上書きしきれていないので最近のことはさっぱりわかりません。ちなみに、サイレンススズカとグラスワンダーが好きでした。
【好きな食べ物】お寿司・焼肉・蕎麦・カレー・たこ焼き
特に変わった嗜好はなく、ステレオタイプな日本人だと思います。
【好きな動物】犬

実家でゴンという名の柴犬を飼ってます。
ひょんなきっかけからゴンを飼うことになったのですが、犬というのはこんなに賢いものなのか、と驚かされました。言葉は通じてないと思うのですが意思の疎通はしっかりできるし、ペットというよりはもはや家族ですね。
98年の生まれなのでなかなかの高齢になってきましたが、毎日元気にやっているようです。たまに帰省したときにゴンと遊ぶのがとても楽しみです。
同じ市内のいとこの家ではクロという名のシェパードを飼っています。

年に数回しか会わないのに私のことをちゃんと憶えていて、私が遊びに行くとゴロンと寝そべりマッサージをねだります。私の施術は圧したり揉んだりしませんが、クロにだけは特別にマッサージをしてあげます。
犬が大好きです。犬は人間の気持ちをよくわかってくれます。人間の方が犬のことを理解してあげられてないんじゃないかと思うと、とても愛おしくなります。
【好きな著名人】イチローさん・中田英寿さん・須藤元気さん
みなさん個性が強いですが、ぶれない人が好きですね。
【好きなスポーツ】野球・サッカー・格闘技(特にMMAといわれる総合格闘技)
野球・・・高校まで野球部に所属していたので今でもよく観ます。しばらくプレーはしてませんが、友人たちと野球チームを結成しようかと計画中です。
サッカー・・・小学生の頃に『キャプテン翼』ブームがあったので、サッカーにも興味がありました。その頃はJリーグがなかったので、正月の高校サッカーを熱心に観てました。
ただ、サッカーのおもしろさに本当に目覚めたのはずっと後で、日本で開催されたワールドカップのときですね。日本とベルギーの試合を国立競技場のパブリックビューイングで観戦してからハマりました。茨城県の日立工業高校出身の鈴木隆行選手が伝説的なゴールを決めた試合でしたが、私は日立市内の高校に通っていたので、日立出身の鈴木選手の活躍にとても感動しました。
格闘技・・・小学校低学年のときにタイガーマスクのブームがあり、それ以来のプロレスファンです。格闘技観戦の入り口はプロレスでしたが、高校、大学と進むにつれて興味は格闘技の方に移っていきました。K-1、PRIDEと熱心に会場へ観戦に行ってました。近頃は忙しいこともあって以前ほど会場へは行かなくなりましたが、仕事で自分が関わりを持った選手の応援には行きますね。試合直前に選手を整体することもあります。あのリングに上がって殴り合うなんて私にはとても真似できません。その勇気にいつもリスペクトを持って応援しています。


改めまして、みなさま、こんにちは。
腰痛・ヘルニア回復スタジオ用賀回復堂 代表の藤田と申します。
当ホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。
こうやってみなさまとご縁をいただきましたことをとても嬉しく思います。そして心より感謝をいたします。
今ここをご覧のあなたは、腰が痛くてつらい思いをされているのではないかと思います。
あなたのその痛くて、つらくて、やるせない気持ち、私にはよくわかりますよ。

ヘルニアを患ったとき、私が療術の業界に足を踏み入れて6〜7年経っておりましたが、私のまわりには私の腰に変化を起こせる人はいませんでした。
もし逆の立場だったとしても、私が施術する側だったとしても同じことだったろうと思います。「圧(お)したり揉んだりしてもリラクゼーションにしかならない、困っている人の役に立てない」という自分の仕事に大きな疑問を感じ始めました。そして途方に暮れていました。
病院で何度もブロック注射をしてもらいましたが効果はなく、ドクターからは手術を勧められました。手術が怖くてあらゆる民間療法を試してみましたが、残念ながらピンとくるものはありませんでした。

骨折や切り傷のような目に見えるものとは違って、腰痛のつらさはなかなか他人には伝わりません。「自分はこんなに苦しんでるのに、まわりからは怠け者と思われてるんじゃないのか?」などと余計なことまで考えては落ち込み、毎日が憂鬱でした。
そんな私でしたが、結局手術はせず、今では腰痛もなく毎日元気に働いています。
なぜでしょうか??
当院で実践している無痛骨盤整体(無痛自然療法)の原型である療法に巡り合い、手術することなくヘルニアを克服できたからです。
軽く触れられ、軽く揺らされるだけなのに痛みが軽くなっていくことにびっくりしました。

そしてそれは、自分の頭の中を支配していた整体の常識が大きな音を立てて崩れ落ちた瞬間でもありました。

それまでの私はこの療法の存在を知りませんでした。知らなかったから嘘みたいだと思ったわけで、知ってる人からすれば不思議でもなんでもなかったのでしょうが。
そして今、これを読んでくださっているあなたは無痛骨盤整体(痛自然療法)を知らないかもしれません。かつての私がそうだったように・・・。
知らないということは損なことです。知ろうとしないことは、可能性の芽を自ら摘んでしまっているのと同じことです。
私は今、ひとりでも多くの方に誤った先入観を捨てていただき、無痛骨盤整体(無痛自然療法)の素晴らしさを知っていただきたいと思っております。心からそう願って用賀回復堂立ち上げ、運営をしております。
私があなたの回復のためのお手伝いをさせていただきます。












